2013年5月4日

しんぶん「赤旗」出張所員として

確実な実務を学ぶ

「赤旗」新聞の北区出張所に勤務した、82年から86年の4年間は、共産党活動の土台となる機関紙活動(「赤旗」の配達や集金の活動をこう呼んでいます)を確実な実務で支えていくという党の専従者の誇りと自覚を学びました。

当時4人の所員が地域別に担当を決め、毎日変動する読者の増減を各支部や配達員に連絡し確認する。配達漏れや遅配(午前7時以降に配達すること)がないよう、配達員の手配と目覚まし電話、終了確認が欠かせません。

毎週木曜日には1万部に及ぶ日曜版の梱包が届きます。支部ごとに仕分けと各ポストおろし。この時に支部への細かい連絡や雑誌その他も配布するので、他の人に代わることはできずめったに休めません。さらに週2回ずつ朝の3時ごろに日刊紙を荷受けし、区内の集配所におろして回る作業があります。

新聞休刊日だけが安息日

人のからだと同じで、どこか具合の悪い部分、例えば配達員の不足や集金の遅れ、担当者の病気や転居などが生じます。どんな場合でも滞りなく「赤旗」を届け、集金を欠かさないために、穴が開いたところは緊急にカバーしなければなりません。このため出張所員はたいてい、毎朝どこかのコースの配達と、月末は少なからぬ集金を抱えています。新聞休刊日だけが心休まる「安息日」です。

コンピューターを導入したのもこの時期で、慣れない手つきでキーをたたき全ての読者を打ち込みました。これで最も手間取る領収書の手書きという実務がなくなり、支部からも喜ばれました。

一番長い休暇

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亡くなる前年の父と、弟

出張所にいる間で一番長かった休暇は、父が死んだ時でした。党の専従になることに大反対した父でしたが、「そのうち和解できるだろう」とたかをくくっていた私には、62歳で脳内出血で突然死なれたのはショックでした。

息子の仕事を苦々しく思ったままだったのか、少しは了解していたのか、母にもいっさい語らなかったので、わからず仕舞いです。  専従になって本当に良かったのかと、わずかでも悔いを感じたのは、あとにも先にもこの時だけでした。