2013年5月4日

宮沢賢治との出会い

北大入学と同時に児童文化サークルに入会し、初めて宮沢賢治の童話を知りました。

大学祭で上演する影絵劇に「よだかの星」が候補に上がったのです。

「よだかは実にみにくい鳥です」という深刻な書き出し。小さい鳥たちにばかにされ、本当の鷹からは「まぎらわしいから名前を変えろ」と責められ通しのよだかがついに生き場所を失い、星になろうとして死を賭して夜空にかけのぼって行く物語です。

自分で不思議なほど強い衝撃を受け「敗北的で子供に見せられない」と渋る先輩たちを押しきって脚色しました。

結局、本番では音響装置の不調で台詞が観客の子供達に聞き取れず、よだかはカラスと間違えられたりでさんざんでした。

その後も賢治とは様ざまな場面で新しい出会いがありましたが、82年、党の専従として「赤旗」出張所の仕事についたころから、 賢治童話の分析を通じて、自分なりに彼の思想や生き方の魅力はどこにあるのか見極めたいと思うようになりました。

深夜からの日刊紙集配作業の合間にメモを書き留めては少しずつまとめていきました。賢治は生前、当時の労農党への支援など社会主義運動の協力者でしたが、「階級闘争」論には共鳴せず、仏教思想を貫きました。しかし社会変革の力が農民や労働者の側にあることを、やはり見抜いていたと思います。

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サークルで上演した人形劇

それは晩年の「銀河鉄道の夜」の主人公ジョバンニ少年の描き方にも表れています。自らの生き方は、まるで友人の身代わりにおぼれ死んでしまうカンパネルラのように、自己犠牲や博愛主義という、美しいけれども 孤独な影を引きずっていた賢治ですが、貧しさとたたかいながらも「みんなの幸せ」を探し求めようとするジョバンニ少年に、どこまでも行ける最高の「緑の切符」を託したのを見てもそのことが察せられます。

自らの限界を悟りながらも、それを超える生き方を示す…賢治の最大の魅力だと思います。