2013年5月4日

隅田川と33年のつきあい

川には独特の魅力があります。隅田川とのつき合い始めは67年、都立小石川高校1年の夏でした。文化祭のクラステーマに私の案が採用され「隅田川調査」になったのです。当時、巨大などぶ川と化していた隅田川に、蓋をして暗渠にすることを検討中というニュースを聞いて、見たことのないこの川に興味が湧いたのです。

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まず都庁を訪ね、公害担当の職員から汚染の状態や水質の調べ方を教わりました。夏休みの一日、クラス全員が4人一組で隅田川と上流の新河岸川の各要所で水を汲み、学校に持ち帰って拙いながらも水質を分析しました。私は厩橋に行きましたが、まだ橋も見えないうちから卵の腐ったようなすごい臭い。堤防によじ登り、苦労して一升びんに水を汲みました。青黒く劇薬のような臭気。酸素もゼロ、生物もゼロのまさに「死の水」でした。

文化祭(創作展と言います)では川の模型を作り、クラス全員が交代で説明役をやって大好評でした。

私は隅田川のその後が気にかかり、3年の夏休みに2日がかりで、笹目橋から河口まで川沿いを歩き通してみました。2年間で臭いもずいぶん弱まり、護岸でバンド練習する人、軒先の洗濯物、ボール遊びの子供など、川辺に人の暮らしがあり、川風も快く感じられました。いま思えば都の公害対策の成果でしょう。

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4年後、札幌の大学生活を終え就職したのが、また浮間橋のたもとの化学会社。さらに13年後、区議になって北区のリバーフロント計画にかかわり、都議会でも建設住宅委員会や都市計画審議会で大川端や墨田のリバーシティーなどを扱いました。いま隅田川は垂直の堤防から、なだらかな「スーパー堤防」に造り変えながら、見た目はきれいになっていきます。

しかし、隅田川の魅力は水辺の自然と人の暮らしが息づいていて本物ではないか…。生活感のないビルやコンクリートで固めた川岸の都市計画図を見るたびに考えることです。