2013年5月4日

70年安保の中で

北大に入り2年目の夏、民青同盟に加盟しました。

70年安保の年に入学し、日米安保条約やベトナム戦争を巡る論争を避けて通ることはできませんでした。

クラスでもサークル(人形劇と児童文学)でも、連日の討論、4・28や6・23のデモや集会など、私は納得していない行動でも自分で確かめようと参加し、もどってはまた討論の毎日でした。

当時、安保を肯定する理論家は少なく、せいぜい「結局、安保の下で日本は平和が維持できた」という結果論がほとんどでしたが、中で際だっていたのは作家の三島由紀夫でした。天皇を中心に日本の伝統と文化の再構築をめざし、そのためにはクーデターも辞さないという行動力と論争の強さが魅力でした。

しかし、その三島が11月に自衛隊の市ヶ谷基地に突入し自決した事件を見て、私は三島と同時に、日本の現体制を肯定する、または時代を戻そうとする思想と決別しました。

民青同盟に加盟したもう一つの動機は、サークルの人形劇活動を運営していく上で、人間関係の難しさと自分自身に染みついた官僚主義やエリート意識を克服したいと通説に思っていたからです。

20歳前後の学生が、夏休みの僻地巡回公演をはじめ、年間数十回の人形劇公園をこなすのはかなりハードなことです。

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人形劇の練習風景

私は部長として仲間の悩みや疑問に答えねばならないのに、絶えず自分の非力を思い知る毎日で、民青の仲間はいつも私の愚痴や相談の相手をしてくれました。

1年後、私は日本共産党への入党を勧められました。「こんな未熟な人間でも入れるのか」と率直に驚きました。でも考えてみれば、自分の周りでもっとも仲間から信頼され、教育や文化の反動かと闘い、日本の社会進歩の方向を示しているのは日本共産党員でした。

「この人たちと同じように生きたい」との思いで申込書を書きました。ベトナム戦争が、激しさを増していた72年の夏でした。