2013年5月4日

夏のある夜の決意

92年の、参議院選挙も終わった夏のある夜に、都議の飯田幸平さんが、党の役員とともに私の家を訪れました。私と妻が迎え、娘たちはさっと子供部屋に消えました。

飯田さんは区議会、区長選、さらに塩谷アイさんの引退で都議へ「党の要請で全力で走り続けた33年だった」と自らを語りました。今回勇退を決意し、後継者選びの中で私の名前があがり、「曽根君を、区議団全員が都議候補にふさわしいと推してくれた。それが本当にうれしかった」と話しました。

区議会初当選からまだ5年半。まだ駆け出しのつもりだったのに、 党派を超えて信頼を得ている超ベテランの飯田さんの跡継ぎとして 大国なみの財政と機構を持つ都議会で、ゆいいつの革新・日本共産党その候補者として挑戦を――。そう考えると、責任の重さに身震いする思いでした。

私は、中学時代に代々木のオリンピックプールで、面白半分に高飛び込みの台の上に立ってみたことを思い出しました。あの時は恐怖の余りはしごを降りましたが、今度は「君なら跳べる」と大先輩から励まされたのです。

私は、地元の支持者、後援会や党支部の皆さんの顔を思い描きました。その顔はみんな私に「やってみろ」「挑戦しろ」といっています。

そして今、いかに多くの人たちが、悪政に苦しみ、日本共産党の躍進を願っているか…。議員の道に進んだ以上、その信頼と期待に全身でこたえるのが私の使命ではないか。

そんな風に決意を新たにしている時、となりで妻が「わかりました。何もできませんが、本人の気持ちは決まっているみたいです」と、小さいが、はっきりした声で、言ってくれました。