2013年5月4日

初めての都議選をたたかって―党の躍進求める声を痛感・公約実現、「都民が主人公」へ全力

93年6月18日の都議選告示から9日間の選挙戦を候補者として、1週間おいて7月4日公示の総選挙では中島さんを応援して18日の投票日まで、本番だけでもまるまる1カ月の政治決戦を、党員や後援会員の皆さん、赤旗読者や支持者の皆さんとともに全力投球でたたかい抜き、中島さんは議席を奪還し、私は塩谷アイさん、飯田幸平さんが28年間守ってきた議席を受け継ぐことができました。

昨年秋、予定候補としての発表以来、北区の革新議席を何としても都議会で継承し、国会では奪還しなければならないという、みなさんお一人お一人の決意とこれまで以上に懸命の奮闘があったことを振り返る時、大変なご心配と苦労をおかけしたことに報いることができた幸せを、今かみしめています。本当にありがとうございました。

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予定候補として発表された頃は、全くの暗中模索で、北区中を回りながら、その広さに茫然とする思いでした。ただ、持ち前の楽天性とチャレンジ精神でがむしゃらに動きました。1週間ごとに各区議地域をまわる9週間の「中島・そねデー」と赤旗まつりでのあいさつなどでやっと知名度も出てきた程度。ポスターには「顔写真は良いが、名前が目立たない」との注文があいつぎ、年が明けて異例の第2弾は、誰でも読めるようにと「そねはじめ」とひらがなの名前にしたり、みなさんからあらゆる創意工夫を出していただきました。

一方、あいさつや宣伝で訪ねる先々で、深刻な不況の直撃を受けている商店街や業者の方々、「今度病気で倒れたら行き場がない」というお年寄りの不安なくらし。その中で発覚した「金丸」の金権腐敗事件への怒りが激しく吹き出していました。清潔な日本共産党の躍進を求める声を痛感させられました。

そして、国民の怒りをすり替え小選挙区制導入の策動が強まる中、4月からは後援会の皆さんのカンパで購入された新しい宣伝カーによる本格的な街頭宣伝。また、桐ケ丘を皮切りに延べ17回、2800人以上の方々に参加していただいた地域演説会の取り組みが始まりました。

私はこの中で、徹底的に金権問題を訴え、都政に対する私の抱負と政策をかつてなく多くの区民の皆さんに思う存分、直接訴えることができたのは、候補者として最高の幸せでした。

都議選本番突入と同時に国会が解散し、国政選挙の前哨戦として都議選の意味は極めて重いものになりました。  中島さんは、連日応援とともに、自ら候補者として気迫の訴えをされました。そして何よりも飯田幸平さんが、この1年間、特に選挙本番ではローカル紙が「慈父のように」と書くほど、全ての候補者活動につき添ってあたたかくアドバイスをして下さったことは、私にとって最大の援軍でした。

総選挙での中島さんを飯田さんと2人で押しあげたこととともに、生涯に2度とはないかもしれないすばらしい選挙として都議選を胸に刻みながら、これからは公約の実現、「都民が主人公」の都政を実現するため、全力をあげたいと思います。

今後も、皆さんのいっそうのご指導・ご鞭撻を心からお願いいたします。