宮沢賢治の魅力 ―自然と人間の交流

宮沢賢治ブームが続いています。生誕100年とはいえ、これほど人気の高い作家も珍しいと言えます。 彼が人々に愛されるのは、人間の生き方の理想を自ら追求し、しかもそれを詩や童話で豊かに表現したからでしょう。

それにしてもなぜ、賢治が現代のわれわれをも魅了するのか…。企業の派手なキャンペーンの陰に隠れた賢治の本当の魅力は何でしょうか。

賢治童話には、多くの動物や植物がいきいきと登場します。

そこには、確かに日本の民話にあるアニミズム(自然界への畏敬と信仰)の伝統が生きています。

しかし民話の発想には、「自然をおろそかに扱うと、ばちが当る」といった受け身的な畏れの念が強いのに対して、賢治童話には人間が自然や動物と、共生していこうとする観点が貫かれているのです。

童話の「なめとこ山の熊」では、生活のために好きな熊を殺す小十郎と、分かっていて撃たれる熊たちとの生死の境目での心の交流が描かれています。「セロ弾きのゴーシュ」では、毎晩訪れる動物たちの頼みごとを通じて、実はゴーシュ自身が音楽の感性を身につけていきます。ここには今や失われつつある自然と人間の交流の瞬間がちりばめられています。

戦後の日本では、経済成長の一方で、自然環境は次々破壊され、その被害は公害の形で人間にも及びました。その反省から、今日では、自然の生態系を守ることなしには、人間の生活環境も守れないことが常識になってきました。

区民の健康を脅かす高速道路王子線の建設を認めてきた北本区政でさえ、最近では「オオタカのすめる北区を」などと言わざるを得ないのです。

起伏の多い日本の地形に合わせて人々が自然と巧みに共生してきたのが「里山」の風景です。賢治は70年も前に里山のくらしの中で、最新の科学知識を生かし、音楽などを楽しむ行き方を「羅須地人協会」で実践しようとしました。

数年で挫折したというものの、そこには現代のわれわれも問われている、日本のすぐれた伝統である自然との共生と、科学進歩との、融合した姿がかいま見えるのです。この姿こそ、多くの日本人があこがれ、理想としている生活のあり方のひとつではないでしょうか。  しかし、堅持の魅力はそれだけではありません。

賢治の童話「貝の火」は興味深い作品です。子ウサギのホモイがおぼれるヒバリを救い、お礼に権威のある「貝の火」という珠を贈られます。仲間は恐れて一緒に遊ばなくなり、代わってキツネが取り入ってホモイに動物たちを迫害させます。

父親はホモイのおごりを厳しく叱るのですが、その時「貝の火」の珠はいっそう美しく輝いたので、父親は叱るのをやめて黙ってしまいます。しかし最後に珠は破裂し、ホモイは失明してしまいます。  珠の権威に押しつぶされていく子ウサギと、それを救えない父親の姿に、賢治は当時の人間社会の危うさを描いているのではないでしょうか。

日本人を辛辣に描きながら、賢治自身はその最も厳しい農村の生活に飛び込んでいきました。  毎年のように襲う凶作と飢饉におびえながら生きる農民たちと、その上前をはねる質屋稼業のおかげで不自由なく暮らせる自分との間に、乗り越えがたい溝があることは賢治自身がいちばん感じていたでしょう。それでも肥料の設計など具体的貢献を通じて何とかつながり合おうとした賢治の思いはどこに合ったのでしょうか。

私には、賢治が本来人類の理想社会に生まれるべき人間が、あまりに早い時代に誕生した姿ではないかという気がします。  科学と宗教が融和し、農業と芸術が同義の言葉で語られ、自分の育てた作物や肥料設計に、値段をつけることなど考えられない世界…それが賢治の生きていた生活空間でした。

そこでは、たとえ他者から何も与えられなくとも、自らは、可能なあらゆるものを与え続けなければならない。賢治は、その空間の約束を律儀に守り通したのです。

「全世界の人々が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」という賢治の有名な言葉は、彼にとっては自然な考えだったでしょうが、現代のわれわれにおいてすら、この感性を持ち続ければ、その人は自滅するしかありません。

しかし、私自身は、賢治のような人間が普通の人として、当たり前に生きていける社会を、創れるものならぜひ実現させたい。というより、そんな社会を夢見つつ、現実のあくせくした時代を生きていきたいと願う一人なのです。